1977年(昭和52年)の出来事を一緒に見ていきませんか?
その年その年の出来事は、思い出深いものもあれば、懐かしいものもあって、皆さんの心に残っている出来事も様々ですね。
今回は1977年(昭和52年)に起きた出来事を紹介していきます!
1977年に起きたスポーツ、芸能・エンタメ、時事、政治・経済など、日本や海外で注目された出来事を集めてみました。
出来事ランキングベスト10・年表のような出来事一覧など、分かりやすくまとめているので、読みやすくなっています☆
皆さんで一緒に1977年(昭和52年)の出来事を一緒に見ていきましょう!
1977年(昭和52年)は、芸能・エンタメ、スポーツを中心に注目の出来事が起きていたようね!
どんな出来事が起きていたのか、見ていくのがとても楽しみ♪
まずは『1977年出来事ランキングトップ10』でどんな出来事が注目されていたのか、チェックしていきましょう。
1977年の出来事ランキングベスト10
- 巨人・王貞治選手がホームラン世界新記録達成(9月3日)
- 横田めぐみさん拉致事件発生(11月15日)
- ロック歌手エルビス・プレスリーさん死去(8月16日)
- 日本初の気象衛星「ひまわり」打ち上げ(7月14日)
- 俳優チャールズ・チャップリンさん死去(12月25日)
- 俳優・田中絹代さん死去(3月21日)
- 沖縄県久米島でみぞれ観測(2月17日)
- 全米女子ゴルフで樋口久子選手が優勝(6月12日)
- キャンディーズが解散宣言(7月17日)
- ドリフ大爆笑が放送開始(2月8日)
1977年の出来事ランキングトップ10を一覧でまとめて紹介してみたよ!
ランキングを見ると、スポーツ、芸能・エンタメを中心に大きな出来事が起こっているね。
ジャンルごとに見ていくのが楽しみになるランキングだね☆
1977年の出来事一覧|日本&世界の経済・ニュース・流行・芸能・スポーツまとめ!
年表のように時系列で紹介するから、とても見やすいはず。興味のある出来事が出てくるといいね♪
1977年1月の出来事一覧 | |
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1月2日 | アニメ・あらいぐまラスカル放送開始 |
1月3日 | 俳優・阿部豊さん死去 |
1月4日 | 青酸コーラ無差別殺人事件発生 |
1月22日 | 青森県で国民体育大会始まる |
1月27日 | ロッキード事件・丸紅ルート初公判 |
1977年2月の出来事一覧 | |
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2月8日 | ドリフ大爆笑放送開始 |
2月15日 | 弘前大学教授婦人殺人事件・再審で無罪判決 |
2月17日 | 沖縄県久米島でみぞれ観測 |
2月27日 | 俳優7・渡辺篤さん死去 |
1977年3月の出来事一覧 | |
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3月17日 | 全日空航空機ハイジャック事件発生 |
3月21日 | 俳優・田中絹代さん死去 |
3月23日 | 俳優・丘寵児さん死去 |
3月28日 | 登山家エリック・シプトンさん死去 |
1977年4月の出来事一覧 | |
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4月7日 | 第49回高校野球大会で和歌山代表・箕島高校が7年ぶり優勝 |
4月12日 | ファッションデザイナー・桑原洋子さん死去 |
4月15日 | 「コロコロコミック」創刊 |
4月26日 | 革新自由連合発足 |
4月29日 | 全日本柔道大会で山下泰裕選手が19歳最年少優勝 |
1977年5月の出来事一覧 | |
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5月2日 | 大学入試センター発足 |
5月9日 | 芝山町長宅前派出所襲撃事件が発生 |
5月14日 | 歌手・奈良光枝さん死去 |
5月24日 | 俳優・近衛十四郎さん死去 |
5月30日 | サックス奏者ポール・デズモンドさん死去 |
1977年6月の出来事一覧 | |
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6月1日 | タバコブランド「マイルドセブン」発売 |
6月8日 | 俳優・筑波雪子さん死去 |
6月12日 | 全米女子ゴルフ選手権で樋口久子選手が優勝 |
6月15日 | 和歌山県で集団コレラが発生 |
1977年7月の出来事一覧 | |
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7月1日 | 領海法施行 |
7月14日 | 日本初の静止気象衛星「ひまわり」打ち上げ |
7月17日 | キャンディーズが解散宣言 |
7月27日 | ノルディック複合選手ヴィルヘルム・ボグナーさん死去 |
1977年8月の出来事一覧 | |
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8月6日 | 「宇宙戦艦ヤマト」映画公開 |
8月7日 | 有珠山が大噴火 |
8月16日 | ロック歌手エルビス・プレスリーさん死去 |
8月26日 | 絵本作家ハンス・アウグスト・レイさん死去 |
8月29日 | 日本初の3時間ドラマ「海は甦える」が放送 |
1977年9月の出来事一覧 | |
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9月3日 | 巨人・王貞治選手がホームラン世界新記録達成 |
9月5日 | 国民栄誉賞を創設 |
9月9日 | 台風9号が沖縄県沖永良部島を直撃 |
9月27日 | 日本航空クアラルンプール墜落事故発生 |
9月28日 | ダッカ日航機ハイジャック事件発生 |
1977年10月の出来事一覧 | |
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10月1日 | 伊藤忠商事が安宅産業を吸収合併 |
10月1日 | 映画「幸せの黄色いハンカチ」公開 |
10月15日 | 長崎バスハイジャック事件発生 |
10月20日 | モデルのマリー・テレーズ・ウォルターさん死去 |
10月29日 | 俳優・草笛美子さん死去 |
1977年11月の出来事一覧 | |
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11月4日 | 作家・吉野せいさん死去 |
11月14日 | 5代目・嵐芳三郎さん死去 |
11月15日 | 横田めぐみさん拉致事件発生 |
11月22日 | プロ野球ドラフト会議でクラウンライオンズが江川卓さんを指名 |
11月25日 | ハイジャック防止法が成立 |
1977年12月の出来事一覧 | |
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12月1日 | 俳優・望月優子さん死去 |
12月3日 | ドラフト会議で指名受けた江川卓さんが入団拒否 |
12月21日 | コンビニ「デイリーヤマザキ」設立 |
12月22日 | 天童市女性工作員殺人事件が発生 |
12月25日 | 俳優チャールズ・チャップリンさん死去 |
年表のように分かりやすく一覧になっていたから、とても見やすかったかな?スポーツは嬉しいニュース、芸能・エンタメは悲しいニュースが多い印象だわ。また、 2024年になった今でも未解決となっている事件が、この年に発生していたのが印象的ね。
一覧で見ていくのもいいけど、ジャンル別に見ていくと、より詳しく知れる出来事ばかりだわ!
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1977年の日本&世界の出来事をさらに深掘り!
出来事の深掘りその1:経済・政治について
まずは、『経済・政治』から見ていきましょう。いろんなことが起こっているようだけど、特に経済は「ソ連」という国に注目だよ!
今回は分かりやすい経済・政治の出来事をまとめてみたので、ぜひ読んでみてね☆
1977年の政治をピックアップ!
●ロッキード事件初公判(丸紅ルート・全日空ルート)
ロッキード事件は、アメリカの航空機大手会社・ロッキード社による飛行機の受注に関して、世界中の国々・政治を巻き込んだ世界的な汚職事件。
日本では、田中角栄元首相と政治家2名が関係者として逮捕されました。
裁判は、政治家に賄賂を渡したルートごとで行われ、日本では【丸紅ルート】と【全日空ルート】の2つのルートがあったため、2回に分けて裁判が行われました。
このうち【丸紅ルート】は「5億円は基準ルートと言われた。」「上層部の圧があった。」など細かい証言が明らかになりました。
田中角栄元首相と政治家2名にはそれぞれ有罪判決が下され、日本の政治に大きな打撃を与えました。
●革新自由連合が発足
第11回参議院選挙を前に【革新的で自由主義な知識人・文化人・タレント】が結成した政党。
代表は元タレントの中山千夏さんが務め、メンバーには永六輔さん・田原総一朗さん・青山幸男さんらがおり、政治家は1名もいませんでした。
しかし、メンバー同士の意見の食い違いが多くなり、離脱者が増えたことが原因となり、1983年に空中分解となりました。
●第39代アメリカ大統領にジミー・カーター氏
第39代アメリカ大統領にジミー・カーター氏が選ばれました!
ジミー・カーター氏は知名度は低かったが、クリーンなイメージと満面の笑みをアピールしたことで、徐々に知名度を上げていきました。
議事堂からホワイトハウスまで歩いて就任パレードを行った初の大統領です。
しかし、CIAの情報収集低下などの対処不足で徐々にトレードマークだった笑顔がなくなりました。
その後の大統領選で、ロナルド・レーガン氏に敗北し、1期(4年)で大統領の座を退きました。
元首相の田中角栄さんは、政治家・田中真紀子さんのお父さまよ。
日本の政治まで動かす出来事は、数少ないから印象に残りやすいわね。『革新自由連合』の結成は、政治に新しい風を吹かせてくれたわ。アメリカの大統領選は毎回、新しい話題があって、海外からの注目度も高いわね!
2024年以降のアメリカ大統領選も注目していこう☆
1977年の経済をピックアップ!!
●第3回首脳サミットが開催
1977年5月7日・8日、イギリスの首都ロンドンで第3回首脳サミットが開催されました。
参加したのは、イギリス・フランス・アメリカ・西ドイツ・日本・イタリアの各首相と欧州委員会委員長が出席しました(日本は福田赳夫総理が出席)。
2日間の会議で「世界経済情勢は徐々に改善している」「雇用拡大が共通目標」「それぞれの経済情勢に従い、拡大的成長策・安定化対策をとることを目標とすること」で合意しました。
ちなみに日本は、出席した7か国で1番高い6.7%の経済成長を約束しました。
●ニューヨークで大停電発生
1977年7月13日、ニューヨーク市と周辺地域で大規模な停電が発生しました。
原因は変電所への落雷と、落雷後の施設職員のスイッチ操作ミスの2つ。
この停電で2つの空港と複数トンネルが閉鎖し約900万人に影響がでました。
また、窃盗1,016件・放火1,037件が発生し、約3億ドル(約330億円)の経済被害が起きました。
●経済界がソ連に注目!
1977年(昭和52年)は「ソ連」という国に注目が集まりました。
まず、1977年5月ソ連を発端に中国・日本・アメリカ・ヨーロッパで『ソ連かぜ』が大流行しました。
『ソ連かぜ』は、“何らかの原因で研究所に保存していたウイルスが流出したこと”が原因と言われています。
このソ連かぜで各国で経済への影響が多く出たと言われています。
そして1977年10月、ソ連新憲法が成立。
このソ連新憲法は、1936年に制定された「ソ連憲法」を改変したもの。
第1条の「社会主義国家」の内容変更、経済的管理・文化的関係が追記されました。
この憲法成立後、ソ連は世界各国との交流を積極的に行うようになりました。
1977年(昭和52年)の経済は、海外に注目が集まっていたのね!
首脳サミットは、毎年のように注目が集まっているわ。
「どんなことが議論されて」「どんなことが決定したのか」気になるところね。
『ソ連』は2024年でいう「ロシア」のことよ。
ソ連かぜによる経済の影響・ソ連憲法による経済への決まりなど、“ソ連”という言葉が印象的な出来事が多いわね。
出来事の深掘りその2:ニュース・時事・災害・事件について
ここでは、1977年(昭和52年)に起きた『時事ニュース・災害・事件』をまとめてみたよ!
この年の出来事で大きい出来事は、「ハイジャック」と「拉致事件」。
注目してほしい事件・災害などをまとめてみたので、 一緒に見ていこう☆
●横田めぐみさん拉致事件
1977年11月15日、当時中学1年生だった横田めぐみさんが、学校の帰宅中に失踪する事件が発生しました。
当初、誘拐・事故・家出などを考えたが、のちに北朝鮮の工作員が日本人を拉致していたことが判明!
【複数の被害者がいること】【被害者の中に横田めぐみさんらしき人が存在したこと】から、北朝鮮の工作員に拉致されたことが分かりました。
北朝鮮側は「横田めぐみさんは死亡した」としているが、不自然な部分が多いことから生存している可能性が高く、横田めぐみさんの早期帰国を日本は望んでいます。
●ダッカ航空機ハイジャック事件
1977年9月28日、【フランス発東京着 日本航空472便】が、日本赤軍メンバー5人によってハイジャックされました。
バングラディシュの首都ダッカに緊急着陸した航空機の中で、日本赤軍は以下の要求をしてきました。・身代金600万ドル(日本円16億円)
・日本で勾留されている9人の釈放と日本赤軍への参加”当時の首相・福田赳夫総理は、『人の命は地球より重い』として、要求をすべて受け入れました。
その後、世界各地を転々としながら、着陸・人質解放を繰り返し、人質全員の救助に成功!
この事件を機に、11月25日に新たな【ハイジャック防止法】制定されました。
1977年に起きたこの2つの事件は、大きな出来事として取り上げて正解ね!
一番は『横田めぐみさんの拉致事件』。
出来事トップ10や一覧でも入っていた出来事だね!
自分の子供が行方不明になった時は、家族や親族、友人たちは不安な日々を過ごしていたはず。
ちなみに横田めぐみさんの父・横田茂さんは、2020年に病気で亡くなっているわ。
法律改正にまで影響を与えた『ハイジャック事件』も印象的だわ。
福田赳夫総理の言った『人の命は地球より重い』という言葉は、人命がどれだけ大切で重いものか、世界に訴えているように感じる言葉ね。
●沖縄県でみぞれ観測
1977年(昭和52年)は北海道から沖縄までを覆いつくす大寒波によって、12月~2月にかけて寒い冬が続きました。
そして、1977年2月17日0時30分、沖縄県久米島にみぞれを観測。
ほんの5分ほどの出来事でしたが、2016年の大寒波が来るまで【観測史上唯一の記録】として残っていました。
●有珠山が噴火
1977年8月7日、北海道にある有珠山で大規模な噴火が発生しました。
噴煙は最大12,000mまで上がり、日本中を震撼!
前日から周辺地域で予兆地震が観測され、前もって避難している住民が多かったため人的被害はありませんでした。
しかし、住宅・農地などの被害が大きく出たため、復興までに時間を要しました。
【主な被害】
・住宅損壊(埋失8棟、半壊4棟、一部損壊370棟)
・農耕地の被害(約13,000件)
・経済損害(林業 4,851万円、公共施設 249万円、その他被害 316億円)
●静止気象衛星「ひまわり」打ち上げ
1977年7月14日、アメリカのNASA(アメリカ航空宇宙局)で日本初となる、静止気象衛星が打ち上げられました。
この気象衛星の打ち上げは、【天気予報】という身近な情報に衛星を使うきっかけを作る出来事でした。
「気象衛星ひまわり」は、1978年に本格稼働を開始し、1989年に役目を終えました。
その後「気象衛星ひまわり」は、精度・正確さなどを高めながら、定期的に打ち上げられ、私たちの生活に役立っています。
1977年の天気・災害も印象的な出来事が多いね!
出来事カレンダー・年表一覧でも紹介したけど、『沖縄県でみぞれを観測』したニュースは
日本中が驚いたはずだよ。
全国的な大寒波は、沖縄県まで影響を与えていたんだね。
全国各地にある山で『有珠山』は有名な山の1つ。
その有珠山の噴火は、大々的にニュースやメディアに取り上げられてたね。
住宅の損壊・経済的な損害額を見ると、被害の大きさに衝撃が走っちゃうよ‥‥‥。
●和歌山県 集団コレラ発生
和歌山県で集団コレラが発生しました。
1977年6月10日、和歌山県有田市にある病院に、下痢と発熱を訴える3人が病院に運び込まれましたのがきっかけ。
この日以降、同様の症状で入院する患者が増えたため、詳しく調べると、コレラ菌が発見されました。
6月15日、臨時ニュースが報じられ、臨時休校・防疫用の消毒液が撒かれる・コレラ菌を持ってない人には【コレラ無菌証明書】を発行する事態に!この他にも「和歌山県からの食料の入荷中止」「和歌山ナンバーの車は入店禁止」など風評被害も起きました。
なお、集団コレラは同年7月2日に終息し、経済被害は約47億円と言われています。●国民栄誉賞が創設
2024年の今、よくニュースで取り上げられる【国民栄誉賞】はこの年に創設されました。
もともとあった内閣総理大臣顕彰よりも、より受賞条件を柔軟にさせた表彰規定が特徴です。最初の受賞者は、当時プロ野球・読売巨人に在籍していた王貞治選手。
その他、長嶋茂雄さん・羽生結弦さんらスポーツ選手以外にも、俳優の森光子さん・渥美清さんといった著名人・有名人も受賞しています。
1977年(昭和52年)時事ニュースで衝撃が走ったのは、『集団コレラ』ね。
出来事トップ10や年表一覧でも紹介していたわ!
コレラは世界的に有名な感染症の1つで、下痢や嘔吐が主な症状と言われているわ。
まさか日本でコレラが蔓延するとは夢にも思わなかったはずよ。
コレラによる風評被害も発生して、当時和歌山県に住んでいた人達は、辛い思いをしたわね。
反対に『国民栄誉賞の創設』は嬉しいニュースね!
多くの著名人・芸能人が受賞したことで、私達も国民栄誉賞への関心が高まったような気がするわ。
出来事の深掘りその3:流行について
『流行』はいつの時代も気になるものよね。分かりやすくまとめてあるから、興味深いなぁ。1977年はどんなことが流行って、世間を賑わせてのか一緒に見ていきましょう!
1977年(昭和52年)に流行したものをチェック!
●ロマンチックスタイル
2024年でいう“ロリータファッションの始まり”ともいえます。
お嬢さまのようなふんわりとしたスカート、フリル・レースをあしらった洋服が大人気になりました。
おしゃれに敏感な若い女性を中心に流行しました。
●クォーツ時計
時計老舗メーカー・セイコーが発売開始した時計。
アナログとデジタルの2種類の時計を発売し、世界中で大流行の商品となりました。
2024年では、1977年(昭和52年)製のクォーツ時計はプレミアがつくほど希少価値が高いと言われています。
●ビックリマンチョコ
お菓子メーカー・ロッテが発売したチョコレート菓子。
チョコレートをウエハースで挟んだお菓子とシールがセットになっていること、値段が30円と安いことが流行のポイント!
今までのお菓子になかったトレーディング要素、人気アニメとのコラボを繰り返しながら、2024年になった今でも人気のお菓子です。
1977年に流行したファッションやお菓子は、今に繋がっているものが多いわね!
ロリータファンションと呼ばれているファッションは、『ロマンチックスタイル』と呼ばれていたのね。
“ロマンチック”という言葉を聞くだけでも、ときめいてしまうわ。
ロマンチックファッションの特徴は、「女性ファッションの特徴の1つ」となっているわ。
『ビックリマンチョコ』は30円という安さが流行の要因にもなったわね。
2024年になっても人気なのは、お菓子と一緒に入っているシールの存在が大きいのかもしれないわ!
しかし、1977年は表彰イベントはなく、テレビなどで多く聞かれた言葉・印象的だった言葉が『流行語』として発表されたのみでした。どんな言葉が1977年(昭和52年)の世間・テレビに注目されたのか、紹介していきます☆・カラオケ(カラオケブームのスタート)
・たたりじゃー!(映画「八つ墓村」のCMで流れたフレーズ)
・だめだ、こりゃ(ドリフターズ・いかりや長介さんのギャグ)
・天は我らを見放した(映画「八甲山」の名ゼリフ)
・話がピーマン(「話に中身がない」という意味)
・普通の女の子に戻りたい!(キャンディーズが解散宣言で言った言葉)
そんな中で選ばれた流行語は、【1977年を象徴する言葉】と言ってもいいかもしれないわ!
まとめて見ていくと、芸能・エンタメを中心とした言葉が多いわね。映画のワンフレーズや芸能界で活躍している人達の言葉は印象的☆『話がピーマン』は意味を知ると、例え方がとても上手としか言えないね!
2024年の新語・流行語大賞、楽しみにしましょう♪
今でも大人気☆1977年に流行したおもちゃをご紹介!
●おえかき「せんせい」
「せんせい」シリーズの第1弾として発売された商品。
磁気で絵が描けるお絵かきボードで、「描いて消してが何度でもできること」「手が汚れない」「親が安心して見守れる」ということが人気を集め、子供へのプレゼントの1つとして流行しました。
2024年になった今でも人気で、累計2,120万台以上を販売しています。
●カプセルトイ
2024年でいう『ガチャガチャ』のこと。
以前から発売されていましたが、おもちゃメーカー・バンダイがカプセルトイ市場に参入したことで、人気が集まりました。
当時人気だったアニメ「キン肉マン」を“キンケシ”としてカプセルトイで販売し、累計1.8億個を売り上げました。
1977年に流行だったカプセルトイは種類を増やしながら、2024年になった今でも人気です。
1977年に流行したおもちゃは色々あるけど、紹介した2つは 2024年でも人気のあるおもちゃだね!
“何度描いても消せる”おえかきボードは、とても新鮮だったね!
子育て中の家庭や子供へのプレゼントとしても活躍しているよ。
カプセルトイは、2024年では、カプセルトイだけを取り扱っているお店が出るほど人気よ☆
注目を集めた“キンケシ”を頑張って集めていた、当時の子供たちは懐かしいはず。
1977年に流行したものは、他にどんなものがあるか、ぜひ探してみてね☆
出来事の深掘りその4:芸能・エンタメについて
この年は「人気スターの死」「日本の芸能界に衝撃が走る出来事」が多かったようだね。どんな出来事なのかまとめてみたので、一緒に見ていきましょう☆
芸能界麻薬汚染事件
きっかけは、暴力団から入手した覚せい剤を使用していた俳優・岩城滉一さんの検挙からでした。
この逮捕をきっかけに、歌手のジョー山中さん、研ナオコさん、井上陽水さん、内田裕也さん、美川憲一さんら、有名芸能人の皆さんが検挙されていきました。
芸能界に麻薬が蔓延した背景には、海外の文化が日本に入ってきたことが要因と言われています。
キャンディーズ解散宣言
伊藤蘭さん・藤村美樹さん・田中好子さんの女性3人組ユニット。
1973年(昭和52年)にデビューし、「年下の男の子」「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」などヒット曲を飛ばし、ファンクラブの会員数を増やしていきました。
そんな中、1977年7月17日に日比谷公会堂で行われたコンサートで「普通の女の子に戻りたい!」と突然の解散宣言。
ファンはもちろん、芸能・メディア業界を驚かせました。
翌年4月4日に後楽園球場で開かれたお別れコンサートをもって、多くのファンに惜しまれつつ、解散しました。
この2つのニュースは、芸能・エンタメ業界を騒がしていたのが分かる出来事。
芸能人の覚せい剤使用は、2024年でもニュースで取り上げられるけど、この頃から注目されていたんだね。
応援している芸能人やミュージシャンが関わっていると、ショックは大きいね。
キャンディーズの解散は人気絶頂中の解散ということもあって、多くの人が衝撃を受けただろうなぁ。
「普通の女の子に戻りたい!」という言葉は、1977年の流行語として注目を集めたよ!
出来事トップ10や年表一覧でも紹介されている理由が分かるね。
惜しまれつつ亡くなった1977年(昭和52年)の芸能人・有名人をピックアップ☆
●田中絹代さん(俳優・享年67歳)
・日本映画史を代表する俳優であり、松竹の看板俳優
・時代劇「元禄女」でデビューし、「彼と田園」「伊豆の踊子」など、生涯を通して260本の作品に出演
・戦後も松竹の看板俳優として、日本映画界を支えた
●近衛十四郎さん(時代劇俳優・享年63歳)
・本名:目黒寅彦さん
・映画「柳生十兵衛」で主役の柳生十兵衛を演じ、見事な殺陣で時代劇ファンを魅了。
・華麗な殺陣さばきは【古今東西ナンバー1】と評価された
海外の芸能人
●エルビス・プレスリーさん(ロック歌手・享年42歳)
・【キング・オブ・ロック】の異名を持つアメリカのロックンローラー
・「監獄ロック」「ハウンド・ドッグ」などが大ヒット
・「1日で最もレコードを売り上げた歌手」「世界で最も訪問される墓」など、多くのギネス認定を受けた
●チャールズ・チャップリンさん(コメディアン俳優・享年88歳)
・コメディアン俳優として、アメリカを中心に世界中で活躍
・チャップリン独自のキャラクター『小さな放浪者』を生み出す。
・「黄金狂時代」「独裁者」で、イメージ覆す役を演じ、更なる人気を獲得
1977年に亡くなった著名人で注目の著名人・有名人をまとめてみたよ!
出来事カレンダー・年表一覧でも紹介している人達をピックアップしてみたよ。
田中絹代さんと近衛十四郎さんは、日本の映画史・エンタメ界には欠かせない存在だったのね。田中絹代さんが出演していた『伊豆の踊子』はとても有名な作品ね☆
アメリカで活躍していたエルビス・プレスリーさんとチャールズ・チャップリンさんは、2024年になった今でも有名よ!
プレスリーさんが歌っていた『ハウンド・ドッグ』は、番組で歌われたり、お店のBGMとして使われたりしているわ。
チャップリンの『小さな放浪者』は、【山高帽・大きなドタ靴・ちょび髭・ステッキ】という特徴的な見た目が可愛らしいわね☆
ドリフ大爆笑が放送開始
1977年から1998年の21年間続いたバラエティ番組。
人気お笑いユニット・ドリフターズが、毎週ゲストを迎えて多彩なコントを繰り広げました。
数多くのコントが披露され、特に「雷さま」「もしもシリーズ」「ばか兄弟」が大人気のコントでした。
また、「ド、ド、ドリフの大爆笑~♪」から始まるオープニングを聴いて、テンションが上がった人は多いのでは!?
芸能界でも「ドリフターズとコントをしたい!」「共演したい!」と願っていた芸能人も多かったそうです。
『サタデーナイト・フィーバー』が全米を中心にフィーバー!
2024年現在、アメリカの人気俳優ジョン・トラボルタさんの出世作となった映画です。音楽と映画を融合させたこの作品は、1960年代に流行したディスコブームを再び巻き起こしました。
また、この映画で主演を務めたトラボルタさんの服装や決めポーズ、踊っていた音楽も人気を集めました!
ちなみに日本ではパチンコの大当たりを表す言葉として、“フィーバー”という言葉が使われるようになりました。
『ドリフ大爆笑』はドリフターズ好きな人はもちろん、お笑い好きな人に人気の番組だったね!
ドリフターズ以外にも、意外な俳優やアイドルたちも登場してコントに挑戦するのは、エンタメ界でも新しい試みだったはず。
『サタデーナイト・フィーバー』は主演のジョン・トラボルタさんの腕を伸ばして、人差し指が天を指しているポーズが有名ね!
アメリカだけでなく、日本の文化にも影響を与えているのはすごいこと☆
1977年(昭和52年)の芸能・エンタメは、注目したい出来事が盛りだくさんだったんだね!
出来事の深掘りその5:スポーツについて
この年のスポーツ界は、世界中から注目が集まる出来事がたくさんあったようね。どんな出来事が起きたのか、一緒に見ていきましょう☆
1977年は世界も注目した日本人スポーツ選手をピックアップ!!
●樋口久子選手が全米女子ゴルフ優勝
1977年(昭和52年)6月12日、日本人女子ゴルファー・樋口久子選手が日本人初の優勝を飾り、アジア人初のメジャー制覇を成し遂げました。
高校時代にゴルフを始め、1969年頃から海外のゴルフ大会に出場しながら、着々と力を付けてきた、樋口選手。
樋口選手オリジナルの打法「スウェー打法」は“機械のような正確性がある!”と国内外から称賛を浴びました。
2003年には日本人初となる【世界ゴルフ殿堂入り】を果たしました。
●王貞治選手 ホームラン世界新記録達成
1977年9月3日、当時プロ野球チーム・巨人に在籍していた王貞治選手が、対ヤクルト戦でホームラン世界新記録を達成しました。
これまでの世界記録755号を抜く、756号ホームランの誕生に日本中が歓喜!
またこの日は、王選手のご両親を招待した試合でもあり、観客から「親孝行も日本一!!」という歓声が上がりました。
ホームラン世界新記録を達成した王選手は、同年に国民栄誉賞を受賞。
1980年に現役引退するまで、通算868本のホームランを打ちました。
1977年(昭和52年)のスポーツは、日本だけでなく世界も注目する出来事が起こっていたんだね!
アジア人初のメジャー制覇を達成した樋口久子さんの活躍は、日本人として誇らしいこと。
高校卒業してから海外の大会に積極的に参戦していたのは、尊敬しちゃうわ。
王貞治選手のホームラン世界新記録達成は、日本中が感動したね!
ちょうど王選手の両親も来ていたというから、最高の親孝行になったはずだわ。
日本人も世界記録を目指せる!と多くのスポーツ選手に勇気と感動を与えてくれた出来事ね☆
プロ野球ドラフト会議で有名なエピソードの1つ『江川ドラフト騒動』を知っていますか?
どんな騒動だったのか、まとめてみました☆●きっかけは相談から
『江川ドラフト騒動』の中心となったのは、当時法政大学・野球部で活躍していた江川卓選手。
野球部で通算433個の奪三振記録を作った江川選手は、母校の作新学院理事長・舩田中さんを訪れました。
「球団との交渉を一任する」というお願いをした江川選手に対し、舩田さんは快諾。●突然の発言にプロ野球界から抗議
快諾した舩田さんは突然「江川くんは巨人への入団を希望している。本人の希望を叶えたい!」と会見で発言。
この発言にプロ野球界からは、「逆指名なんてもってのほか!」「舩田さんがどんな立場だろうと、ドラフトというルールを無視するのはよくない!」と抗議の声が多く挙がりました。●運命のドラフト会議
そして、1977年11月2日に開かれたドラフト会議で、江川卓さんへの指名順位は【1位 クラウン(福岡) 2位 巨人(東京)】の順番となりました。
この結果を受け、江川さんは12月3日、父親・舩田さんらを連れてクラウンの事務所を訪れ、クラウン入団を拒否。
拒否理由について「関東に住んでいる自分には馴染みのない土地」「これまで援助してもらった人たちへの感謝を無視できない」と理由を語りました。このドラフト騒動は、その後のドラフト会議・野球選手を対象とした沢村賞に大きな影響と与えました。
また、江川選手が巨人入団した後のテレビ中継などにも影響を与え、野球界だけでなくスポーツ界全体に強い印象を残しています。
この『江川ドラフト騒動』は「懐かしのニュース」や「記憶に残るスポーツ界の出来事」といった番組でよく取り上げられている、有名な話よ。
出来事トップ10や年表一覧でも紹介されているから、それほど注目度が高い出来事なのね。
こうやってまとめてみると、すごい騒動だったことが分かるね。
球団との交渉を一任された舩田中さんの意外な行動に、江川さんもビックリだったはず。
その後のドラフト会議、沢村賞という歴史ある賞にまで影響を与えたことで、騒動の大きさ・すごさを感じさせられるわ。
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