1952年(昭和27年)はどんな出来事があったのかな?
1952年(昭和27年)には、社会でどんな大きな出来事があって、どんな時代だったのかな?
日本と世界の経済や芸能界、スポーツや話題になったニュースについても、わかりやすく一覧でまとめていくよ!
1952年は第二次世界大戦の終戦から7年目、日本の吉田茂内閣は国民の食糧難を打開するために、残り少ない外貨を使って海外から安い米を調達したよ☆
しかし米の郵送船も低価格なものを選んだために、郵送中の米に強い毒素があるカビが生えて黄変米になってしまったんだ!
アメリカやカナダを含めた連合国48国と、日本との間で結ばれたサンフランシスコ平和条約の発効で、日本は独立国として主権を回復したよ♪
ほかの社会的に大きな出来事も一覧でまとめてあるから、ランキングで当時を思い浮かべてみてね!
1952年の出来事ランキングベスト10
- 輸入ビルマ米に多量の黄変米発見(1月13日)
- 日米行政協定に調印(2月28日)
- サンフランシスコ平和条約発効(4月28日)
- 韓国政府が李承晩ライン設定(1月18日)
- イギリスのジョージ6世崩御(2月6日)
- アメリカが初の水爆実験(11月1日)
- 東大ポポロ劇団事件(2月20日)
- 第一次日韓正式会談開始(2月15日)
- ボクシング白井義男が日本初の世界王者となる(5月19日)
- 三党の合同で改進党発足(2月8日)
1952年(昭和27年)の日本は吉田茂内閣で、国会中継のラジオ放送がスタートしたよ♪
在日米軍の施設や地位を保証する日米行政協定の調印や、韓国との日韓併合条約の無効などを話しあう第一次日韓正式会談をスタート。
ちなみに、日本と韓国の会談は1965年(昭和40年)まで続いたよ☆
出来事ランキング9位、ボクシングの白井義男選手が日本初の世界王者になって、終戦からまもない日本の”希望の光”に見えたね☆
体格差のある欧米諸国の選手と、対等に戦うだけでも凄いのに、チャンピオンだなんてビックリだね☆
ボクシング白井義男選手とGHQの関係
GHQの正式名称は「連合国軍最高司令官総司令部」で、第二次世界大戦終結によって、日本で占領政策を実施した連合国軍の機関だよ。
最高司令官ダグラス・マッカーサーの名前は、どこかで聞いたことがあるかな?
なんと、このGHQに所属していた生物学者アルビン・R・カーンが、ボクシングの白井義男選手を世界に通用する選手へと育てたんだよ☆
当時の白井義男選手は、年齢的な部分と重い腰痛のため、引退寸前の状態。
しかし当時所属していたジムで偶然にもカーン博士と出会い、ボクシングの資質を認められて「コーチをさせて欲しい」とお願いされたんだ。
当初は断っていた白井選手だけど、カーン博士の熱意と、自身のボクシングに対する深い情熱から、生活と経済面の保障を条件に専属契約を結ぶよ☆
カーン博士の指導のもと、白井選手は肉類などの摂取と筋力トレーニング、体力と筋力の増強で、なんと持病の腰痛を克服!
運動神経を活かした、防御主体のボクシング・スタイルに変更したことで、白井選手に合ったボクシングが出来るようになったよ。
また白井選手と彼が苦手な対戦相手の分析をおこない、白井選手の長所と有利な点をデータにして比較・指摘することで、白井選手の精神面のケアもおこなったんだ。
1952年5月19日アメリカのダド・マリノ選手との世界タイトルマッチに勝利して、白井選手は日本史上初の世界王者になり、さらに4度の防衛を果たしたよ。
4月28日にはサンフランシスコ平和条約が発効されて、日本が独立国家として歩み出したことでGHQは廃止になったんだ。
1952年5月19日の世界タイトルマッチは、日本スポーツ界の伝説の名勝負と言われているよ☆
試合会場の入場人数は4万人で、日本人による世界戦スポーツ興行の動員数最高記録なんだ!
この日は「ボクシングの日」に制定されたよ♪
1952年の出来事一覧|日本&世界の経済・ニュース・流行・芸能・スポーツまとめ!
1952年(昭和27年)には、日本と世界でどんな出来事があって、どんな時代だったのかを一覧でまとめたよ☆
年表をチェックしながら、経済や流行・エンタメと芸能の気になるニュースや、大きな出来事を見つけてみてね♪
話題になったニュース以外にも、知らなかった出来事があったかもしれないね☆
1952年1月の出来事一覧 | |
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1月4日 | イギリスがスエズ運河を封鎖する(エジプト) |
1月13日 | ビルマから輸入した米に多量の黄変米発見(日本) |
1月18日 | 韓国政府が李承晩ライン設定し漁船立ち入り禁止となる(韓国) |
1月21日 | 北海道札幌市で日本共産党による白鳥事件が発生 |
1月30日 | モスクワ地下鉄5号線環状線のベラルースカヤ駅が開業する(ソ連) |
1952年2月の出来事一覧 | |
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2月4日 | 鹿児島県のトカラ列島がアメリカ軍の統治下から、日本政府へ返還される |
2月6日 | イギリスの国王ジョージ6世が崩御し、エリザベス2世が即位する(イギリス) |
2月18日 | トルコが北大西洋条約機構の加盟する(トルコ) |
2月26日 | 首相のウィンストン・チャーチルが核兵器保有を公表(イギリス) |
2月28日 | 日米行政協定に調印(日本・アメリカ) |
1952年3月の出来事一覧 | |
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3月1日 | 計量法が施行される |
3月4日 | 十勝沖地震発生、津波などにより死者28人、行方不明者5人、家屋被害8,973棟 |
3月10日 | キューバでフルヘンシオ・バティスタがクーデターを起こして大統領となる(キューバ) |
3月29日 | 国家地方警察東京都本部が小河内村の山村工作隊を逮捕する |
3月31日 | 日本文化放送協会(現在の文化放送)開局 |
1952年4月の出来事一覧 | |
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4月1日 | 沖縄に琉球中央政府発足 |
4月10日 | NHKラジオで、菊田一夫脚本のドラマ「君の名は」が放送開始 |
4月18日 | 日本と西ドイツの間に国交樹立 |
4月28日 | サンフランシスコ平和条約発効に伴い、日本の主権回復となる |
4月28日 | 日本とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効(旧日米安保条約) |
1952年5月の出来事一覧 | |
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5月1日 | 第23回メーデーの参加者が警官隊と衝突し、死者2人・重軽傷者2,000人以上・1,230人が逮捕 |
5月2日 | ロンドンとヨハネスブルク(南アフリカ共和国)の間に、世界初の旅客用ジェット機が就航 |
5月15日 | 日本とイスラエルの間に国交樹立 |
5月19日 | ボクシング・白井義男が日本史上初の世界チャンピオンになる |
5月31日 | ホームセンターの「ケーヨー」設立(日本) |
1952年6月の出来事一覧 | |
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6月2日 | 大分県で菅生事件が発生 |
6月15日 | 『アンネ・フランクの日記』英語訳版が刊行される |
6月19日 | アメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレー)が創設される |
6月24日ー6月25日 | 大阪府で吹田事件が発生 |
6月29日 | 神戸でイギリス水兵強盗事件が起きる(日本) |
1952年7月の出来事一覧 | |
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7月1日 | 羽田飛行場の一部がアメリカ軍から返還され、東京国際空港として業務を開始する |
7月1日 | 住民登録の実施を開始する |
7月16日 | 福岡県の平和台球場で、西鉄ライオンズVS毎日オリオンズ戦でトラブルが発生 |
7月19日ー8月3日 | ヘルシンキオリンピック開催。日本は16年ぶりの夏季オリンピック参加(フィンランド) |
7月25日 | プエルトリコがアメリカ合衆国の自治領となる |
1952年月8の出来事一覧 | |
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8月8日 | 巨人、プロ野球チーム初の1,000勝を達成 |
8月13日 | 日本が国際通貨基金(IMF)に加盟する |
8月14日 | 西ドイツが国際通貨基金(IMF)と世界銀行に加盟する |
8月23日 | 芸能雑誌『明星』(集英社)創刊 |
8月27日 | 西ドイツがイスラエルに対して、第二次大戦中の賠償金30億ドイツマルクを払う条約に署名 |
1952年9月の出来事一覧 | |
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9月1日 | 小説家の小杉天外が死去する(享年86歳) |
9月4日 | 映画『風と共に去りぬ』東京の有楽座と大阪の松竹座から全国ロードショー |
9月18日 | ソビエト連邦が、日本の国際連合加盟申請に拒否権を発動 |
9月21日 | 大相撲の土俵から4本柱が無くなり、4色の房がついた吊屋根になる |
9月24日 | 海上保安庁水路部の第五海洋丸が遭難して、調査団9人・乗組員22人全員が死亡 |
1952年10月の出来事一覧 | |
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10月3日 | イギリスが初の原爆実験を実施する(ハリケーン作戦) |
10月11日ー10月15日 | 福建省・南日島を支配する中華人民共和国と、中華民国が攻撃し戦闘となる |
10月20日 | ケニアでイギリス植民地政府への抵抗運動が始まり、戒厳令が布告される(ケニア) |
10月25日 | ポツダム命令がすべて廃止される(日本) |
10月30日 | 第4次吉田茂(自由党)内閣成立し、内閣官房長官には追放を解除された緒方竹虎を起用する |
1952年11月の出来事一覧 | |
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11月1日 | マーシャル諸島にあるエニウェトク環礁で人類初の水爆実験を行う(アメリカ) |
11月4日 | 共和党のドワイト・D・アイゼンハワーが大統領に当選する(アメリカ) |
11月5日 | マグニチュード9.0のカムチャッカ地震が発生(ソ連) |
11月25日 | イギリスのイーストエンドで「The Mousetrap」の上映が始まり、世界最長ロングラン公演となる |
11月29日 | アイゼンハワーが朝鮮半島を訪問する(アメリカ) |
1952年12月の出来事一覧 | |
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12月4日 | マザー・テレサが「死を待つ人々の家」を開設(インド) |
12月5日ー12月9日 | ロンドンスモッグ事件が発生、激しい大気汚染で1万人以上が死亡(イギリス) |
12月12日 | ウィーンで諸国民平和大会(85か国の1,880人が参加)を開催(オーストリア) |
12月17日 | 京阪電鉄、車両に電熱暖房を初設置する |
12月24日 | 神戸放送(現・ラジオ関西)が日本の放送局では初めての「電話リクエスト番組」を放送開始する |
秋に第4次吉田茂内閣が誕生、アメリカの新しいリーダーも決まったね☆
いろんな流行やスポーツ、印象的な出来事のニュースを、この一覧で振り返ってみよう☆
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1952年の日本&世界の出来事をさらに深掘り!
出来事の深掘りその1:経済・政治について
ここからは、日本だけじゃなく世界で起こったニュースや出来事を、深堀りしながら一覧にまとめていくよ!
1951年にGHQのマッカーサーが解任されてから、追放されていた日本の政治家や官僚、警察の上層部の人たちが戻って来たよ☆
朝鮮戦争によって、アメリカ軍から日本へ発注された物資やサービス需要などで、経済的に豊かになり収益がなんと10億ドルにもなっていたんだ!
1952年(昭和27年)はサンフランシスコ平和条約を発効して、日本の主権回復と国際社会への復帰への道が開かれた、重要な時期だね♪
まずは日本の政治・経済の大きな出来事からまとめてみたから、一覧で見ていこうね!
〇日米行政協定に調印(2月28日)日本・アメリカ
この協定のおもな内容は、在日米軍の施設や区域の無償提供、刑事裁判権や防衛分担金などに関する取り決めだよ☆
特に刑事裁判権に関しては、アメリカ軍の将兵や軍人、その家族について日本側には裁判権がまったく認められていなかったんだ。
(1953年に一部改正されて、公務外の犯罪に対しては日本が裁判権を持つことになったよ)
〇サンフランシスコ平和条約発効(4月28日)日本
アメリカやカナダをはじめとする連合国軍と、日本との平和条約および日米安全保障条約が発効。
GHQによる日本占領政策は終わり、独立国として主権を回復したんだ☆
平和条約の内容は「朝鮮の独立を承認して、台湾・千島列島・南樺太の領有を放棄すること」などが含まれていたよ。
〇第4次吉田茂内閣の誕生(10月30日)日本
1月に自由党の中で、吉田茂首相の早期退陣と鳩山一郎(GHQの通報解除により政界へ復帰)を総裁にする案が出ていたんだ。
しかし、10月の第25回衆議院議員総選挙で466議席のうち、自由党がぎりぎり過半数の240議席を獲得したことで、吉田茂首相は続投する事になったんだ。
自由党内では鳩山一郎ら「反吉田派」が台頭して、吉田茂首相の求心力は明らかに低下していたのだけど、吉田茂内閣は日本の復興と経済発展のために、ちからを注いだよ。
〇朝鮮戦争による好景気 日本
朝鮮戦争の物資供給をアメリカから依頼された日本は、物資やサービスの供給を担うことで好景気へ。
後に生産過剰が問題視された産業は、生産を縮小して「平和産業」へ転換することで、日本経済の発展を目指したんだ☆
朝鮮戦争による好景気は「特需景気」「朝鮮戦争ブーム」「ガチャマン景気」と日本では呼ばれていたんだ。
日本からアメリカ軍へ調達された物資は、主に土のう用麻袋・軍服・軍用毛布・テントなどに使用される繊維製品。
前線で陣地構築に必要な鋼管や針金・コンクリートや食品、車両修理といろいろあったんだね☆
車両修理や航空機の定期修理などは、技術的ノウハウがあった三菱重工と富士重工業(現在のSUBARU)に依頼していたんだ☆
1952年(昭和27年)の日本経済
朝鮮戦争特需で、日本は繊維業種の業績が良くなっただけではなく、アメリカ式の効率的な大量生産技術や品質管理に関するノウハウを手に入れたよ☆
高度経済成長の礎になったと言われている反面、特需以外の貿易では、4億ドル以上の赤字だったんだ!
それは第2次世界大戦前から、日本は朝鮮や満州から安価な輸入をしていたんだけど、戦後はGHQに貿易を禁止されていたからなんだね。
さらにアメリカの資源をアメリカが決めた値段で買わされて、アメリカのために生産、アメリカの言い値で販売していた状況では、日本経済が潤うはずがないよね…。
日本は政府主導の経済・産業改革を推進して、民間企業への資金援助や税制上の優遇、電力の地域別再編成などを行ったことで国民総生産は7%以上増加したんだ。
また、日経平均(株価)が200円を超え、10月には300円、12月には360円台に到達。
戦後の株式市場は、株式所有の法人化が進んで、市場での株価は高くなっていくよ☆
〇輸入ビルマ米に多量の黄変米を発見(1月13日)日本
戦争を終えてからの日本は、国内の米の生産だけでは足りなくて、ビルマ(現在のミャンマー)やタイなどから多量の米を輸入。
神戸港で、ビルマから届いた米を点検すると、有毒性が高いカビが生えた多量の黄変米が見つかって、悪臭を放っていてビックリ!
配給拒否のボイコット運動が各地で始まり、黄変米騒動に発展した出来事が、大きなニュースになったんだ。
政府は米を捨てることが出来ず、米を食用以外の用途に使うことで10年かけて処分したよ☆
〇第一次日韓正式会談を開始(2月15日)日本・韓国
第二次大戦後の日本と韓国の国交の回復・韓国側の請求権・在日韓国人の法的地位・漁業問題などについて話し合ったよ☆
多くの難題に直面したけど、最終的には1965年に日韓基本条約が調印されて、国交が正常化されるんだ♪
〇アイゼンハワーが朝鮮半島を訪問(11月29日)アメリカ
11月のアメリカ大統領選に勝利したドワイト・D・アイゼンハワーは、選挙公約だった朝鮮の視察を行ったよ☆
アメリカ社会では朝鮮戦争の行き詰まりに対する不満が広がっていて、早期の戦争終結が目標だったんだ。
その後アイゼンハワー大統領は、対ソ連封じ込めの政策を世界的に展開して、ソ連との対立色を強めていくよ。
出来事の深掘りその2:ニュース・時事・災害・事件について
1952年(昭和27年)の日本や世界で起こった災害や事件について、ニュースをまとめて紹介するよ!
まずは災害について一覧でまとめたから、どんな出来事が有ったのか見ていこうね☆
1952年の災害
〇十勝沖地震(3月4日)日本
北海道十勝郡の十勝沖の深さ5.4kmで、マグニチュード8.2を観測して、最大震度は5。
津波は地震後の約5分で襟裳岬周辺に到達して、波の高さは北海道で3m前後、三陸海岸で約2mあったよ。
十勝沖地震による全体の死者は28人、行方不明者5人、家屋の被害は合計2,000棟以上だったんだ。
〇吉野地震(7月18日)日本
奈良県高市郡で午前1時に発生した地震で、震源の深さは61km、マグニチュード6.7と記録されて滋賀・和歌山・兵庫の一部では最大震度5を観測したよ。
吉野地震での死者は9人、負傷者139人、家屋の被害は約300棟だったんだ。
〇鳥取大火(4月17日)日本
14時55分頃、鳥取市の動源温泉付近から出火して、フェーン現象による強い南風の影響で火は瞬く間に燃え広がって、旧市街地の3分の2を焼き尽くしたんだ。
この火事で死者2人、負傷者3,966人、個人家屋5,228棟、会社銀行等は510棟の被害が出たよ。
〇カムチャッカ地震(11月5日)ソ連
カムチャッカ半島の沖合を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生。
太平洋プレートと北米プレートの境界で発生した巨大地震で、震源域は千島列島の沖合までの600kmもあったよ。
北千島の中心地・セベロクリリスクでは、高台に避難していた住人が二度目の津波に巻き込まれて、人口6,000人のうち2,336人が死亡したよ。
〇ロンドンスモッグが発生(12月5日-12月9日)イギリス
ロンドンで発生して1万人以上が死亡した、史上最悪規模の大気汚染による公害事件だよ。
19世紀以降の産業革命と石炭燃料の利用で、石炭を燃やした後の煙やすすが霧に混じって地表に溜まる。
「スモッグ」という現象を引き起こして、呼吸器疾患など多くの健康被害を出ていたのだけど、特に大規模な被害を出したのが1952年だったんだ。
火力発電所やディーゼル車からも亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が発生。視界の悪さとゴミのような悪臭・肺や喉の痛みが続いて、9日には15万人の人々が入院したんだ。
1952年の事件・事故
〇第五海洋丸の遭難(9月24日)日本
海底火山の調査を行っていた、日本の海上保安庁の海洋測量船「第五海洋丸」が行方不明なったよ。
その後に発見された漂流物などから、噴火に巻き込まれて沈没したことが判明。
地質学者2名を含む乗組員31人全員が死亡した海難事故だよ。
〇もく星号墜落事故(4月9日)日本
羽田飛行場を出発した日本航空のマーチン2-0-2型機が、伊豆大島の三原山に墜落した航空事故だよ。
当時の日本は航空機をアメリカのノースウエスト・オリエント航空から借りて、運行も委託していたんだ。
乗員乗客を含めて37人が死亡し、事故原因にさまざまな憶測があって「不可解な事故」だと言われているよ。
破壊活動防止法(破防法)と日本共産党
1952年7月21日に施行された破壊活動防止法は、政治目的の暴力的な破壊活動団体を規制する法律だよ。
社会の安全の確保のために必要最低限度において適用されるんだ。
思想・信教・集会・結社・表現や学問の自由など、日本国憲法に保障された国民の自由と権利を不当に制限することが無いように定められているよ。
破防法が施行される前年、1951年から日本共産党が武装闘争を通じて日本の解放と民主的変革を達成することを目指したことで、多くの警察襲撃事件が起こったよ。
どんな出来事があったのか、一覧で見てみようね。
〇白鳥事件(1月21日)
北海道札幌市で発生した事件で、日本共産党員が警察官を射殺したとして主犯格の人物が逮捕・懲役刑が確定。
しかし警察の捜査過程での証拠捏造や自作自演を指摘されているんだ。
〇青梅事件(2月19日)
日本国有鉄道(国鉄)青梅線小作駅で発生した列車暴走・衝突事故。
警察は日本共産党関係者の犯行を疑い、翌1953年に10人の共産党活動家を逮捕・起訴したけど、自白が拷問によるものだと判明して全員が無罪になったよ。
〇菅生事件(6月2日)
大分県直入郡で発生した、公安警察による自作自演の駐在所爆破事件。
日本共産党の関係者5人が逮捕・起訴されたのだけど、のちに全員無罪判決が確定した冤罪事件だよ。
〇東パキスタンで発砲事件(2月21日)パキスタン・バングラデシュ
当時西パキスタンの中央政府が使用していたウルドゥ語を、公用語にしようとした事で国民が反発。
東パキスタン(現在のバングラデシュ)のダッカ市内で警官が学生デモに対して発砲、軍隊が出動して多数の死傷者を出したよ。
その後に国民的抗議運動に発展して、結果的に東パキスタンではベンガル語が公用語と認可されて、ユネスコは後日、2月21日を国際母語デーに認定したんだ☆
出来事の深掘りその3:流行について
1952年(昭和27年)にはどんな流行のニュースがあったのか、とっても気になるね♪
当時に流行していた、オモチャとファッションを一覧でまとめてみたよ☆
流行したオモチャ
〇ブリキの自動車(萬代屋など)日本
ブリキの自動車(セダン型自動車)は子供向けのオモチャとして「手頃な価格で壊れにくい」と爆発的人気製品となったよ☆
経済的に豊かになった日本では、クリスマスシーズンには全国的に品薄状態になって、お店の開店前から長蛇の列になっていたんだ♪
〇クラッカーボール(イケブン)日本
火薬を利用して大きな音を出すオモチャで、花火の一種だよ☆
赤・青・黄色に彩色された直径7~8mmの球体で、地面に投げつける「パン!」と大きな音が出るんだ。
〇プラモデル(メビウスなど)アメリカ・日本
当時は「プラ模型」や「プラキット」、「プラキットモデル」と呼ばれていたんだ☆
当時レースカーとしても人気だった、ハドソン・ホーネット車をモデルにしたものなどが大人気だったね。
ちなみに日本企業(マルサン商店)がプラモデルを発売開始するのは1958年12月からだよ♪
全部遊んだことがあるオモチャかな?中でもケン玉は「一人でも大勢でも楽しめるスポーツ」として、大会があるほどの人気なんだ♪
〇オキュパイド・ジャパン製品 アメリカなど
「オキュパイド・ジャパン」とは占領下の日本という意味で、海外でも専門のコレクターが居るくらい大人気のジャンルなんだって☆
1947年~1952年の5年間に、日本から輸出されたオモチャ(人形の焼き物など)に刻印されているよ。
流行したファッション
1950年代の日本で流行したファッションは、戦後の復興期から色々なスタイルが生まれて、若者を中心にトレンドが広がったよ☆
第二次大戦後に、憧れのアメリカ文化が日本社会に流入してきた時代は、日本は和装から洋装への転換期だったよね♪
また日本では、洋裁学校が全国的に2400校以上に増加して、自分たちで洋服を作る文化が広まったよ!
〇ナイロンブラウス
1952年(昭和27年)の夏に、新素材の透け感のあるナイロン素材のブラウスが流行したよ☆
ナイロン素材は新しくて、透ける特性がファッションのトレンドになったんだ♪
また、同じように透明ビニールのレインコートも若者の間で流行したよ。
〇トッパーコート
上半身ほどの長さの女性用ショートコートだよ☆
ウエストかヒップまでの長さで、すそが広がって少しフレアが付いているデザインが多いよ♪
カジュアルからフォーマルまで幅広いシーンで活用できるファッションが流行したんだ。
〇プリーツスカート
ウエストから、すそにかけてプリーツ(折りひだ)が付いているスカートの名称だね。
それまでもスカートよりも、立体感があって動きやすさを重視しているんだ☆
「アコーディオンプリーツ」や「ボックスプリーツ」など種類が色々あるから選んでみてね!
1952年(昭和27年)の流行語
NHKラジオの受信契約が1,000万件を突破したこの頃、どんな言葉が流行したのかな?
「これ昭和27年の流行語だったの!?」って、ビックリした言葉が、あるかも知れないね☆
一覧でまとめてみたから、一緒に見てみよう♪
〇言うてみてみ 聞いてみてみ 漫才コンビ:中田ダイマル・ラケット
〇恐妻家 評論家の大宅壮一氏
〇エッチ 小説『白い魔魚』より
〇火炎瓶 牛乳ビンなどにガソリンなどを詰めたもの
〇プータロー(風太郎) 日雇い勤労者のこと
時代を超えて、リメイクする流行語もあるかもね♪
出来事の深掘りその4:芸能・エンタメについて
1952年(昭和27年)の芸能・エンタメ界では、どんな出来事があったのか、一覧でまとめていくね♪
日本の芸能界では、ラジオドラマから人気が出てレコードが大ヒットしたり、映画化・舞台化した作品が生まれたよ☆
芸能雑誌『明星』が創刊されて、集団就職した若い女性達をターゲットに、映画俳優のグラビアを多く掲載して日本の芸能ビジュアル雑誌の先駆けとなったんだ。
〇江利チエミ「テネシーワルツ」大ヒット(1月23日)日本
江利チエミのデビュー曲で、レコードを40万枚を売り上げた大ヒット曲だよ☆
原曲は1948年にアメリカでリリースされたカントリー・ポピュラー音楽なんだ。
1952年当時、14歳とは思えない歌唱力と「日本語と英語をまぜて歌う」というスタイルが、都市部を中心に流行していたジャズ(洋楽の総称)を全国に広めたよ♪
〇美空ひばり「リンゴ追分」がミリオンセラー(5月1日)日本
1952年4月にラジオ東京(現TBSラジオ)の開局記念に放送された、ラジオドラマ『リンゴ園の少女』の挿入歌として制作された曲だよ。
その後に映画化されて、15歳の美空ひばりが主演してレコードは130万枚を売り上げたよ☆
〇NHKラジオドラマ『君の名は』放送スタート(4月10日)日本
1952年から1954年までNHKラジオで放送されたラジオドラマだよ☆
後に小説・映画やテレビドラマ、舞台化もされたほどの大ヒット作品なんだ。
脚本家の菊田一夫の代表作で、前半は戦争体験を主題にしていて、後に恋愛ドラマ要素が入ってから人気が出たよ♪
『君の名は』は1953年の視聴率調査で関東地区59%(全番組の2位)の人気作品なんだ☆
「番組放送時間になると、銭湯の女湯から人が消える」と言われていたよ!
出演者である臼井正明と七尾怜子は、この作品をきっかけに結婚した芸能人カップルだよ♪
世界の芸能・エンタメ情報
1952年の世界の芸能界・エンタメ界では、どんなニュースがあったのかな?
時代を超えて愛される俳優が活躍していて、すばらしい作品がたくさん生まれた年だったね♪
〇チャップリンの映画『ライムライト』を上映開始(10月16日)イギリス・アメリカ
チャップリンが長編映画で初めて素顔を出した作品で、アメリカで発表する最後の作品だよ☆
『ライムライト』は、電球が普及する前に使用していた舞台照明の事で、名声の代名詞として使われていた言葉なんだ☆
日本では1953年に劇場公開されて、日本のエンタメ界・芸能界に影響を与えたよ♪
〇マリリン・モンローが5本の映画に出演 アメリカ
大ヒットとなった『熱き夜の疼き』『モンキー・ビジネス』。
そして『結婚協奏曲』『人生模様』『ノックは無用』の合計5本の映画に出演して、とっても話題になったよ☆
コメディからシリアスなシーンまでこなす、アメリカを代表するエンタメ女王のマリリン・モンローの魅力が、それぞれの映画につまっているね♪
〇ミュージカル映画『雨に唄えば』公開(4月11日)アメリカ
1929年に発表された同タイトル曲を原案として制作されたミュージカル映画だよ☆
ジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンが監督、ケリー、ドナルド・オコナーが主演。
日本では、翌年の1953年4月1日から公開されたんだ。
〇映画『風と共に去りぬ』(9月)アメリカ・日本
アメリカの女流作家マーガレット・ミッチェルの長編小説を映画化した作品だよ。
1939年12月にアメリカの劇場で公開されてから、春のアカデミー賞で9個の賞を獲得。
日本では1952年9月に公開されて、以来テレビでも何度も放送されている、世代を超えて長い間愛されている作品なんだ。
マリリン・モンローやチャップリンが活躍した時代って憧れるわ。
『ライムライト』はチャップリンのハリウッド最後の出演作品になったよ☆
チャップリンとヒトラー
喜劇王にして「20世紀でもっとも愛された人」と言われているチャールズ・チャップリン。
ナチスドイツを作り上げ、ユダヤ人を苦しめた「世界一嫌われている人」アドルフ・ヒトラー。
この2人が4日違いの誕生日なのは、とっても有名な話なんだ☆
チャップリンは1940年に発表した映画『独裁者』の中で、第一次世界大戦でヒトラーがおこなった政治的な出来事(ユダヤ人虐待など)を非難したんだ。
公開当時のアメリカ社会では、ヨーロッパほどヒトラーに脅威を感じていなかったよ。
『独裁者』はチャップリンが映画初の完全トーキー作品(映像と音声が同期した映画)で、彼の全作品の中で、もっとも話題になって、流行した映画として記録されているんだ。
他にも、チャップリンが社会や政治をテーマにしたコメディ作品はたくさん有るから、まとめて一覧で紹介するね♪
〇『犬の生活』…1918年公開。犬と旅する放浪者と、酒場の女性歌手の恋を描いたコメディ。
〇『キッド』…1921年公開の長編映画。ロンドンの下町で浮浪者が赤ちゃんを拾って育てる物語。
〇『黄金狂時代』…1925年公開。アラスカで探鉱家のチャーリーは猛吹雪に襲われます。
〇『モダン・タイムス』…1938年公開。工場で働くチャーリーは、単調な仕事が続き錯乱状態に。
出来事の深掘りその5:スポーツについて
1952年(昭和27年)のスポーツのニュースといえば、日本のオリンピック参加だね!
第6回オスロオリンピックでは、日本はメダルを取ることは出来なかったけれど、選手13人が参加してスポーツマンシップにのっとって、精一杯ちからを発揮したよ☆
もちろん、応援している日本の国民も、戦後復興の活力になったよね☆
〇第6回オスロオリンピック(2月14日~2月25日)ノルウェー
30の国と地域が参加した冬季オリンピックで、アルペンスキーなど4競技22種目の試合が行われたよ☆
開催決定後は、大戦中にノルウェーがナチスドイツに占領されていたことで、ドイツ参加の反対運動が起こる。
結局は西ドイツの参加が許可されて、同時に日本の参加も許可されて、五輪復帰できたんだ♪
〇第15回ヘルシンキオリンピック開催(7月19日~8月3)フィンランド
69の参加国・地域の5,429人の選手が18競技149種目で競い合ったよ!
開催の直前で中華人民共和国(中国)の出場が決まり、中華民国(台湾)が反発して、オリンピックの参加を取りやめたというニュースがあったんだ。
日本は金メダル1個、銀メダル6個、銅メダル2個を獲得したよ☆
第15回ヘルシンキオリンピック メダル獲得者金メダル
〇石井庄八:レスリング(男子フリースタイル・バンタム級)銀メダル
〇鈴木弘:競泳(100m自由形)
〇橋爪四郎:競泳(1500m自由形)
〇鈴木弘・浜口喜博・後藤暢・谷川貞次郎:競泳(800mリレー)
〇北野祐秀:レスリング(フリースタイル・フライ級)
〇上迫忠夫:体操競技(徒手)
〇竹本正男:体操競技(跳馬)銅メダル
〇上迫忠夫・小野喬:体操競技(跳馬)
他にも自転車・ボクシング・ウエイトリフティング・フェンシング・ボート・ヨット・射撃・馬術のスポーツ競技で選手が出場したよ♪
オリンピック以外のスポーツ大会では、テニス・ゴルフが大会に出場して活躍したよ☆
他のスポーツの情報も見て行こうか。
〇日本初のボウリング場が登場(12月)日本
ボウリングは、じつは江戸末期の長崎で、オランダ人が伝えたのが最初だったんだって☆
戦後にアメリカの駐留軍の娯楽として、人気があったボウリングに刺激を受けた病院経営者の増泉辰次が、青山に「東京ボウリングセンター」を開業したんだ♪
〇第19回世界卓球選手権で優勝 (2月1日ー2月10日)インド
1952年に初めてアジアで開催された世界選手権は、卓球の日本代表にとって初めての参加だったんだ♪
男女5人の日本人選手が出場して、7種目中4種目で優勝、世界が注目したよ☆
卓球はイギリスから渡ってきたスポーツだけど、日本だけでなく中国でも国民的なエンタメ・スポーツとして流行しているよね☆
日本は戦争で、長い間スポーツの大会に参加出来なかったけど、世界大会やオリンピックに参加できるようになって本当に良かったね!
社会的な事件や災害、辛いニュースはあったけど、これから日本経済を立て直して昭和の好景気・バブル期を乗り越えるんだよ♪これからの時代を生きる、私たちのヒントになるかもしれないね。